義経:成吉思汗への修学生涯 歴史理論による一仮設年表(ななうみ編) 

年号
年 齢
    
静 御 前
1159
(0歳)
保元4年2月1日≪牛若(義経)≫源氏の棟梁義朝の九男として誕生  
1160
(1歳)
父・義朝 平清盛に敗れる 母・常磐 雪の中三子と大和へ 後自首  
1161
(2歳)
母:常磐 清盛の妾となり女子出産 兄:今若7歳 乙若:5歳寺預へ  
1162
(3歳)
母:常磐 大蔵卿藤原長成へ再嫁 (義父:奥州藤原氏と縁あり)  
1163
(4歳:幼1)
≪牛若≫山城国山科村 音羽の里 増尾十郎兼房に預けられる  
1164
(5歳:幼2)
嵯峨野へ移る、時折 常磐訪ねる(大蔵卿は理解ある義父)  
1165
(6歳:小1)
≪牛若丸≫鞍馬山(東光坊阿闍梨蓮忍禅林房) 天台宗入山  
1166
(7歳:小2)
稚児となり仏門へ(法華経) 「仏道修行に入る:経典を習う」  
1167
(8歳:小3)
聖門坊:鎌田三郎正近が源氏の御曹司と伝える 静誕生
1168
(9歳:小4)
常陸坊海尊訪れ源氏再興を説く 「学問と武芸修練を志す」  
1169
(10歳:小5)
≪遮那王≫貴船神社に源氏再興を祈願 「僧正ヶ谷:鞍馬天狗」  
1170
(11歳:小6)
母恋しさに夜六条の藤原邸へ 「五条大橋にて弁慶と邂逅」  
1171
(12歳:中1)
鞍馬本尊毘沙門天に北方祈念 「釈迦一代仏教の習得を祈願」  
1172
(13歳:中2)
常陸坊再来し平家討滅を促す 「五時経典および外道を修す」  
1173
(14歳:中3)
源三位頼政の使者、遮那王に出家否認を迫る 「法華経を修す」  
1174
(15歳:高1)
鞍馬脱出(金売吉次) 元服≪九郎義経≫奥州藤原秀衡のもとへ  
1175
(16歳:高2)
「黄金の都:平泉」透徹した情報蔵書と豊かな自然での文武修練  
1176
(17歳:高3)
秀衡中尊寺経を書写「法華経・華厳経等」奥州全土騎馬で巡視  
1177
(18歳:大1)
京探索の為一時上洛 (弁慶と再会・鬼一法眼/六韜三略読破)  
1178
(19歳:大2)
平泉で秀衡息子6人および家臣達と佐藤元治の軍学・修練に励む  
1179
(20歳:大3)
秀衡・義経の技量に驚嘆 「将来の陸奥乃国」を任せたいと秘案  
1180
(21歳:大4)
源氏旗場 義経:奥州出発200騎 黄瀬川で兄・頼朝と対面  
1181
(22歳:社会)
平清盛病没64歳:義経嘆く 頼朝の命で工匠に贈る馬の轡をとる  
1182
(23歳:社2)
義経主従鎌倉在 秀衡陸奥守任命 京飢饉 静15歳
神山苑で舞う
1183
(24歳:社3)
木曾義仲入洛・素行悪辣のため法皇追討宣旨 義仲追討へ出発  
1184
(25歳)
義兄範頼と伴に義仲を討つ(宇治川の戦)入洛 御所の宴席で静と会う 平家追討 一の谷(ひよどり越え)  [奥州:陸中海岸等での訓練成果] 京に凱旋 検非違使に任官(頼朝無許可) 御所参内で後白河法皇より国家論を学ぶ 経済・文化・軍事・治世 御所の宴席で義経と会う
神山苑で舞う
1185
(26歳)
2月 屋島の戦(梶原の讒言)義経の戦略
3月 壇ノ浦海戦「平家滅亡」
4月 京へ凱旋 頼朝より勘当される
5月 小田原到着「腰越状」提出するが受け入れられず 京に戻る
10月 義経暗殺未遂(土佐坊/梶原景季)後白河法皇 頼朝追討院宣 頼朝激怒 鎌倉の大軍京へ
11月 義経(伊予守)京を退く静も伴われ大物浦より船出(月丸)難破 大和国吉野へ避難
【静との別れ】

静の最もしあわせな時


静の機知で救われる

17日 静雪の吉野で捕らわれる

1186
(27歳)
義経追討の院宣[2] 比叡山潜伏の噂有(西行69歳再度みちのくへ) 西行・頼朝と会う
この頃義経主従は「安宅関」等の難関を越えて、北陸道を進み奥州へと入っていた
秀衡:義経一行の長旅を厚くねぎらう「陸前国五郡の領域ほか名馬百頭鎧弓等を贈る」
4月4日 静(19歳)
鎌倉:鶴ヶ岡八幡宮で舞う
9月 母磯の禅尼とともに京へ
(天竜寺〜嵯峨野/北白河)
1187
(28歳)
3月  「吾妻鏡」義経奥州平泉在を確認 義経追討宣言[5] 奥州藤原氏へ 西行(70歳)義経と会う(?)奥州の善後策を図る
9月 伽羅御所にて病床の秀衡一族を集め「月見の宴開催」後事を託す
10月 29日 藤原秀衡病没66歳≪遺言錦袋≫  西行「千載集」なる
静20歳 春ひそかに京を発つ (小六・さいはら伴) 秋・奥州花輪の里着
1188
(29歳)
義経追討院宣[6][7] 義経一党後事を泰衡に託し雪解けを待ち北方出発  
1189
(30歳)
4月 30日 藤原泰衡高舘を襲い義経衣川に死す「吾妻鏡」≪偽首≫
7月 頼朝 奥州に出兵
9月  藤原氏滅亡 以下「カムイ義経」より引用
3月28日 静(22歳)
奥州安積郡大槻村花輪の里にて入滅 
1190
(31歳)
≪義経慟哭≫黒森山中で「般若経写経奉納」 奥州藤原氏の菩提を弔う  
1191
(32歳)
一党:宮古〜田老乙部〜普代〜久慈・畠山重忠(弓空撃し)諏訪明神祀  
1192
(33歳)
一党:八戸高舘「毘沙門天祀る」「大般若経書写奉納」十三湊秀栄死す  
1193
(34歳)
北の方病死:京ヶ崎に葬る 「大般若経書写・法華経書写」 秀栄を弔う  
1194
(35歳)
一党:野内〜安方〜油川をへて十三湊「壇林寺」≪天命に従う≫を誓願  
1195
(36歳)
一党:いよいよ三厩竜飛より蝦夷島へ福山(松前)〜函館〜平取・着  
1196
(37歳)
義経:平取(ピラウトル)アイヌに稗・粟等の農耕や狩猟法を教える  
1197
(38歳)
一党:大陸へ渡る準備をすすめる 弁慶:寿都で藤原氏残党を待つ  
1198
(39歳)
義経主従:海路寿都〜稚内〜樺太に上陸北上 間宮海峡を渡り大陸へ  
1199
(40歳)
対岸:アムール河上流の奥州藤原氏と交流のあった部族救済をめざす  
1200
(41歳)
アムールの支流オノン川の畔 「悲痛のボルチギン族」と出会う  
1201
(42歳)
義経名を「鉄木真テムジン」と改め、ジャムカ族と戦い負傷する  
1202
(43歳)
鉄木真:ボルチギン(母と幼い子供達)の敵、タタル族を討つ  
1203
(44歳)
父子の誓い裏切られ オン・ハーンを破る(元朝秘史に語る)  
1204
(45歳)
鉄木真ナイマン族を破る ナイマンの宰相ウイグル文字を伝授  
1205
(46歳)
鉄木真:西夏遠征 全モンゴルを制覇(祖国を出て15年・復活)  
1206
(47歳)
テムジン「成吉思汗」(静の思いを汗名として)即位  
蒙古暦(十二支十干)始まる 記録することを指示 捧げるべき「建国」を宣言
1207
(48歳)
〜1215金/中都陥落〜1217(58歳)華北からカスピ海まで  
1220
(61歳)
ブハラ・サマルカンド陥落 (金・耶津楚材)ホラムズ皇帝敗北  
1222
(63歳)
成吉思汗ヒンドウクシュ山で長春真人と会う 日蓮・安房に誕生  
1225
(66歳)
成吉思汗モンゴルの宮廷に帰還 息子孫達に語る(思い出と未来と)  
1227
(68歳)
西夏遠征開始 成吉思汗 遠征途上で病死 「故山に帰りたし」と
8月15日 モンゴル高原のケルレン谷に葬られるが(?)