〜静御前の御霊・鶴岡八幡宮へ〜
 

 観衆魅了『静の舞』  福島民友新聞社 (2005.10.17掲載記事より)
 義経の訃報(ふほう)を聞き郡山市の池に身を投げたとされる静御前伝説を表現した日本舞踊「静の舞」が16日、花柳寿美雄さんによって鎌倉市の鶴岡八幡宮舞殿で披露された。
  この舞殿は、約820年前に静御前が離ればなれになった義経を慕いながら「しずのおだまき」を舞った場所。花柳さんの優雅で悲しげな舞に静御前の姿が重なり、悲恋物語に思いをはせた。
 
福島民報新聞 (2005.10.29掲載記事より)
820年目、奇跡の奉納舞
   「静御前の御霊・鶴岡八幡宮へ」
 静御前が鎌倉は鶴岡八幡宮の舞殿で舞ったのは文治2(1186)年4月8日のこととされる。その後の静御前の消息は長く不明とされたが、820年目に当たる今年10月16日。この由緒ある舞殿で人々は、驚くべき舞台を目の当たりにした。
  それは「みちのく安積の里に於ける静の生涯」を伝えるもので、東北を代表する舞踊家の一人花柳あやめ会会主、花柳寿美雄師による「静御前のあさか舞」と古来から郡山市大槻の長泉寺・梅花講が伝える御詠歌「静御前和讃」、それに多田桂禅会が伝承する民謡「静御前節」の三部作が、静御前が舞ったその地で奉納されたからである。
 朝からあいにくの雨となったが静御前は、雨ごいの白拍子でもあったのだから当然の日和かもしれない。鶴岡八幡宮・二の鳥居には数日前から「郡山商工会議所創立80周年記念・静終焉の地・静御前堂・静の舞奉納」の大看板が堂々と掲げられていた。
  全国には、静御前伝説の地とされる所は23カ所にも及ぶ。だが郡山市が唯一、この聖地である鶴岡八幡宮をはじめ鎌倉市観光協会、全国源氏の会の皆様から認めていただいた。この名誉は、末代まで語り伝えられるのではあるまいか。
  開演の迫る2時近くになると雨は小降りになり、秋山住職の教導する梅花講の壮観な和讃も進み、郡山商工会議所の大高善兵衛会頭のあいさつ、鎌倉市観光協会の歓迎の言葉も済んで、いよいよ花柳流の長唄「しずの苧環(おだまき)」が吟じられると、雨はぴたりとやんだ。
  師は舞いながら衣装を替え、「奥州へ下る静の旅姿」へと移られた。やがて静は安積・花輪の里へたどり着くが、哀れ静は義経の訃報(ふほう)を耳にし御前淵へと身を投じてしまうのである。
  見入る観客は、初めて知るこの場面に大きな驚きと、その優美にして崇高な静の最期に、涙を浮かべる人も一人二人ではなかった。
  企画に際しては、大高会頭をはじめ郡山文化協会の今泉正顕会長、開成山大神宮の宮本勝重宮司、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司、全国源氏の会の福島裕鳳氏、鎌倉市観光協会関係者皆様の並々ならぬご尽力のたまものであったことを明記しておかねばならない。
  舞台最後は、毎年3月28日での静御前例大祭に奏される民謡「静御前節」が多田桂禅会の皆さんによって演じられ、一連の奉納の式典は幕を閉じた。
  この催しを記念し、静御前堂奉賛会は鶴岡八幡宮ご賛同のもと桜の苗木を境内に植樹し、傍らに「静桜・静御前終焉の地・福島県郡山市」と記した碑を建立。末永い鎌倉市との友好を確認した。