奥州岩代の国(現・郡山市) 今に伝わる静御前
悲運の名将・源義経に寵愛された静御前は、奥州藤原秀衡のもとに下った義経を慕って、密かに鎌倉幕府の目を逃れ、供の乳母・さいはらと下僕の小六(元北面の武士)を従え、京の都からこの地までやって来ましたが、老いた小六は病に倒れ、義経がいるという平泉はまだ遥か遠いことを思う二人は、この地(花輪の里)で途方に暮れてしまいました。
静は小六の霊にひとさしの舞を手向けると「ここは義経殿のおはせし陸奥(むつ)の国なれば、ここに心を留めましょう」と、その面影を偲びつつ、ついに池に身を投じたと伝えられています。ときは弥生の花の頃(旧3月28日)、静22歳の春でした。
里人はそのあまりに美しい命を哀れみ、一宇を建て二人の霊を祀りました。今から810年ほど昔、1189年(文治5年)の事です。
現在の御堂は1781年(安永10年)に再建されたものです。近くに身を沈めた池があり、「美女ヶ池」として今も残っております(郡山市大槻町太田地内)。
静御前堂
静御前奉納の踊り
静御前伝説散策ルート
をクリックすると説明文が表示されます。